第20回シェリー

シェリーは食前酒として日本でもかなり前から親しまれている飲み物。ティオ・ペペとかドン・ゾイロなどの銘柄に記憶がある方も多いでしょう。よく冷えたシェリーは、その酸味によって適度に胃を刺激し、唾液を促すことにより食欲をそそります。



<--◆-->

シェリーは、天日乾燥で糖分を濃縮したブドウ果汁を発酵させ、さらに産膜酵母によって熟成させ香りをつけてブランデーを加えてできるもので、スペインの南西部アンダルシア地方、イベリア半島の南端ヘレス=ジェレス=シェリーおよびマンサニーリャサンルーカル・デ・バラメダで保証されている生産地で造られます。
中でも、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ、サンルーカル・デ・バラメダ、プエルト・デ・サンタマリアの3つの町を結ぶトライアングル地帯が第一級の生産地とされています。この地は温暖な地中海気候に恵まれ、10月から5月にかけてまとまった雨がふる以外は、晴天が続く恵まれた土地です。



<--◆-->

ヘレスには紀元前1100年頃にフェニキア人によってブドウ造りがもたらされました。8世紀から13世紀中ごろまでアラブの支配下にあったこの土地では、干しブドウが軍隊の食料として、そしてワインから蒸留するアルコールは医療用として認められていたので、イスラムの教え"コーラン"で禁止されていたにも関わらず、ひそかにシェリーが飲まれていた歴史があります。1264年、アルフォンソ10世がこの地をムーア人から奪回し、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラに自分のブドウ畑を持ちワインを生産するようになってから、シェリーは国の経済を支える重要品として奨励されたのです。ブランデーで酒精強化されたシェリーは長い航海にも変質することがなく風味が保持できたことで、おおいに輸出されるようになりました。ジェノバの商人による新大陸との交易でヨーロッパにとどまらず新大陸にまで届いたこと、そしてマゼランの船団が大量のシェリーを積んで航海したことにより、シェリーは世界を一周した最初のワインとなりました。特に英国へは、羊毛との交換で大量に輸出されるようになりました。現在Sherryと呼ばれる名前はアラビア語のXerezが英語訛りで変化した呼び名なのです。



<--◆-->

シェリーの品種は、白ワイン用品種のパロミノ種、ペドロヒメネス種、マスカット種に限られており、ブランデーを添加した酒精強化ワインです。シェリーはブドウが収穫されるとすぐに醸造所に運ばれ、11から12%ぐらいのアルコール度になるまで発酵させたあと、フィノ、オロロソ、などのタイプに分けて熟成されます。この熟成は"ソレラ・システム"と呼ばれる酸化させて風味をつけるシェリー独特の熟成法で行われます。
ソレラ・システム・・・ソレラSoleraとはスペイン語のSuelo(地面の意味)から由来。樽が3から4段積まれた長い列で、一番下の床に接している樽列をソレラと呼び、ここには最も熟成の進んだワインが入っています。シェリーにするために最下段のソレラから最大1/3程度のワインを抜き取り、ろ過、瓶詰めされます。その抜き取られたあとに下から2段目のワイン(2番目に熟成の古いワイン)をソレラに移し、最上段の最も若いワインが入っている樽まで同様の作業で順次若いワインを充填していくシステム。



<--◆-->

発酵の最後でフロールと呼ばれる酵母の膜が現れたところで、テイスターがシェリーの二つのタイプ「フィノ」と「オロロソ」とに分類します。フィノは5度まで、オロロソは17度まで酒精強化によってアルコール度を上げますが、熟成による変化の度合いが変化します。
フィノ・・・軽いタイプのシェリーでアルコール度15%に発酵されたもの。フロールの膜が維持され樽の中のワインの表面を覆うため、ワインを空気から遮断し酸化を防ぐ役割をします。
オロロソ・・・色が濃く強い風味を持つシェリーでアルコール度17%に発酵されたもの。17度まで引き上げられたワインはアルコール度が高いためフロールが生育されず、ワインが常に酸化した状態で酸化熟成されます。



<--◆-->

その後、シェリーはヘレス地区特定のボデガと呼ばれる貯蔵庫で最低3年以上熟成されなければなりません。
ボデガ・・・湿度を一定に保つため、北西=南東向きの海の近くに建てられ、天井が高く、縦に長いアーチを持った暗い静かな貯蔵庫です。フロールは暗く静かな場所でよく生育するので太陽光線が樽にあたらないよう庫内の窓は高い位置に作られています。またボデガ内の湿度を保つため、壁は感湿性の高い材料でできており、床は砂、石灰、酸化鉄で作られ、涼しさを保つために夏には床に水をまくこともあります。





第21回ワインの香り >>
壬生有香の「美食画報」 TOPへ >>
美通信 コンテンツ一覧へ  >>